占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂第14話「風がざわつく前」

閉店前のほしよみ堂は、だいたい同じ匂いがする。

焚いていたお香の甘さが薄れ、
紙と木の匂いだけが残る頃。

店は「店」であることをやめ、
リノルナの個人の場所に戻りはじめる。

リノルナは鑑定台の上を片づけていた。
布を畳み、道具を元の位置に戻す。

動きは一定で、急ぐ様子はない。
そのタイミングで、扉が鳴った。

カチャン。
音は軽かった。

客の入り方ではない。
入ってきたのは、【筋】の道具屋だった。

紙袋をひとつ、ぶら下げている。

「もう閉められるところでしたか」
「そうです」

リノルナは手を止めずに答えた。

「でしたら、ちょうどよかったです」

その言い方に、リノルナは何も返さなかった。

道具屋は店内を見回し、
鑑定台の前ではない椅子に腰を下ろした。

その距離感だけは、いつも同じだった。

「お茶、もしあればで構いません」
「あります」

リノルナは湯を沸かしはじめた。
道具屋が来ると、店の動線がひとつ増える。

湯気が立ち上がるのを待ちながら、
リノルナが言った。

「今日は、どっちですか」
「どっち?」

「冗談みたいな話か、
 冗談にしたくない話か」

道具屋は少し笑った。

「それが、冗談みたいな話、のほうでしてね」

そう言って、紙袋から地図を取り出した。
プリントアウトしたものを雑に折った地図で、角が少し湿っている。

「分譲地です」
「分譲地?」
「山際の、少し古いところでして」

道具屋は地図の一点を指で押さえた。

「家も並んでますし、人も普通に暮らしてます。お子さんもいます。
 事故も事件も、特には起きていません」

「それで?」
「ただですね、最近ちょっとした違和感の話が増えてきまして」

リノルナは湯を注ぐ手を止めなかった。

「夜になると眠れないとか、
 昼間も決められないとか」

道具屋が話しを続ける。

「本当に些細なところで引っかかる。そういうお話です」

湯呑みが置かれる。

「相談は来ているんですか」
「相談自体は来てますよ。紹介で。紹介の、そのまた紹介でね」

道具屋は少し困ったように眉を上げた。

「皆さん、共通して言われるんです。“楽にはなった”って」

その言葉に、リノルナは反応しなかった。

「もうあいつが入ってるんですね」
「まあ、そんなところでして」

「なら、その人に任せればいい」
「任せてはいます。出来る範囲では」

道具屋は湯をひとくち飲み、

少しだけ目を細めた。

「ただですね、不思議と軽くはならないんですよ」

「そうですか」

「楽にはなっている。そこは確かなんです」

リノルナは地図を見た。

山際。
川は遠い。
風の通り道が細い。

「一度、見て来てください」

道具屋は言った。

「止めなくて結構ですし、直す必要もありませんし、壊すような話でもありません。
 どんな場所か、それだけ分かれば十分です」

「見て、どうするんですか」

「どうもしないかもしれない」

「誰の依頼ですか」

「【筋】からでしてね。ですから、あいにくと今回、報酬はないんですがね」

「どの【筋】からですか」

「お答え出来かねます」

道具屋は即答した。
リノルナは少し間を置いた。

「あの。ぼくは分譲地の処理はしません。
 だいぶ前にやめたんです、そういうの」

「ええ。ですから“見る”だけなんで」

「いつですか」
「明日か明後日」

「雑ですね」
「雑じゃないとあんた、断るでしょうに」

道具屋は立ち上がった。

「それで、その後は?」

「それだけ。あとは、勝手に起きます」

扉の前で、道具屋は振り返った。

「分譲地ってのは、それはもう、
 決めることの塊ですから」

翌日。

分譲地の手前で、リノルナは車を降りた。

空気は少しだけ重い。
重いというより、「決める」匂いがする。

家が並ぶ。

似た屋根が、少しずつ違う向きを向いている。
人はいる。

散歩をする者。
ゴミを出す者。

誰も困ってはいない。

リノルナは坂の途中で立ち止まった。
両腕をさする。

(あいつが来ているな)

風は弱い。
止まってはいない。

リノルナの視野は、
青空のもとで動く人々の営みを眺めている。
そして首をかしげ、綺麗にネイルをした指先で首筋を掻いた。

「うーん、でもよくわからない。
 ぼくはあいつのやりすぎを、この場所で薄める、
 ということなのかなあ」

リノルナは、自ら定めた手順に従い、
サーチを始める。
その青空のほうで。

屋根の上に、気配があった。
それは動かず、降りてもこなかった。

道の途中で、ひとりの人が足を止める。
人と人の間に立つ。

距離は近すぎず、遠すぎない。
声がいくつか上がる。

内容は知らない。
でも、ひとつだけ、落ちる。

無理に、決めなくていい。
その言葉が誰から発せられたか、
それはべつに知らない。

風が、少しだけ軽くなる。
木の葉は揺れない。

気配は、上空へ舞い上がった。

その夜。
ほしよみ堂は静かだった。

リノルナは照明を落とし、椅子を整えた。
分譲地は変わっていない。

人も、暮らしも、屋根の列も。
ただ、その場所には

決めることが溜まりすぎていた。

それが、少し散った。

誰も壊れていない。
誰も救われてもいない。

世界は、まだこちらに来ていない。