ほしよみ堂創始者
中島 多加仁
(なかしま たかひと)

2020年の11月、先祖ゆかりの地である京都を娘とふたりで旅行しました。
とても個人的な話をして恐縮ですが、じつは、ぼくの先祖は嵯峨天皇で、その皇子である源融(みなもとのとおる)が直接のご先祖さまにあたります。
ちなみに、ぼくは河原左大臣から数えて28代目になります。
源融は左大臣でもあり、小倉百人一首にも登場しますが、いまの渉成園である六条河原院を造営し、光源氏のモデルになった人物です。
その渉成園から北に上った清水五条と河原町の間に、ほしよみ堂が出店しました。
原宿を本拠地に、大阪・秋葉原・川崎・札幌・横浜に続く7店舗目です。
ちょうど1年前、ぼくは先祖の墓の前で「必ず京都に出店しますので、どうぞご尽力を」と祈願しました。
余談ですが亡き父は、師匠の霊視によって過去生は【光源氏】だと言われたそうです。
父は稀に見る美男子で、書道と茶道を嗜む風流人で、長唄と三味線の師範であり、名古屋随一の美声の持ち主でした。
小倉百人一首に採用されている河原左大臣の歌は 『陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに』という恋の作品です。
現代語訳しますと、『陸奥で織られる「しのぶもぢずり」の摺り衣の模様のように、乱れる私の心。これは、いったい誰のせいでしょう。私のせいではないのに』となります。
最後の【われならなくに】は、直訳すると「私のせいではないのに」となりますが、暗に「あなたのせいよ」という意を含んでいます。心に秘めた片思い、いわゆる「忍ぶ恋」を詠んだ歌で、平安時代の流行テーマでした。恋してもかなうはずのない高貴な人や、他人の妻への慕情に心を乱す男を歌った作品です。「忍ぶ恋」をテーマにした代表歌で、在原業平の作とされるラブストーリー「伊勢物語」の最初の段にも引用されています。
話は飛びますが20年ほど前、ぼくはセミナー講師として毎月のように京都へ出張していました。
その10年後、今からですと11年前になりますが名古屋で『ほしよみ堂』を立ち上げ、翌年に渋谷店を作りました。このころは、まだフランチャイズ構想がなく、直営店でしたが「次は京都に作りたいね」と、よく話し合っていたのです。
あれから10年が経ち、ようやく念願だった京都ほしよみ堂が生まれました。
オーナーの土高社長は生粋の京都人で、FC希望のメールをいただいたのが2021年の9月3日でした。そして同月22日に、土高社長が運営する『テラの椅子』という占い館を尋ねました。そこで8時間ほど商談しまして、「テラの椅子を閉めて京都ほしよみ堂FC店を立ち上げる」という方向性が決まり、わずか3ヶ月で場所を決めてオープンしたわけです。
この公式サイトは、ほしよみ堂にもかかわらず『terra』というアドレスを、あえて残しました。
土高社長が抱かれる「女性の雇用促進」と「地域社会に愛される占いサロンを」という理念を、京都ほしよみ堂で具現化させていきたいと考えています。

2021年12月 中島多加仁