(その5へ)

伯母の言葉がリノルナにはとても恐ろしく感じられました。

「自由に生きる」「占い師になって生計を立てる」

ぼくはよく両親に叱られるのです。「お前は橋の下で拾ってきた子」「サーカスに売り飛ばす」とか言われて。

言うことを聞かないと、誰にも守ってもらえない。たちまち捨てられてしまう。だから一人きりでいるのがとても不安でした。まわりの人間たちの行動の意図が理解できなくて、 ひとりポツンと孤立してしまうのがとても恐ろしい。

だから「自由」というワードにとても恐怖を感じるのです。占い師だって同じです。占い師って、旅回りのサーカス団みたいなものではないでしょうか。

したがって旅回りのサーカス団に入ったとして、リノルナがたくさん技を練習したとしても、使い物にならないならその場で捨てられてしまいます。次の場所に連れていってもらえない。

人間の世界を生きていくって、すごく難しい。すごく大変。

結局ぼくは伯母から簡単な占いをすこしだけ手ほどきしてもらい、あくる日、今度は父方の祖父母の家に行きました。

人間たちのいさかいの種にならないように、リノルナは両家に同じ日数だけ滞在する、という暗黙の決まりがあるみたい。

玄関を入って、たたきから二階のほうを見上げます。階段が左にカーブしていますが、二階の部屋のドアが開け放たれているのが見えます。二階に続く階段の上のほうにパワーを感じました。姿はもう見えないけど、この反応が足のお化けのあいつなのでしょう。

赤い着物のあの子もぼくの後ろにいて、二階を見上げているらしいことがパワーの感じで分かります。ふにゃふにゃして体幹が定まらないクラゲみたい。パワーが渦を巻いているのがあの子のパワーの特徴です。

お昼は出前をとって、祖母と二人でキクラゲと紅しょうがが載っている美味しいラーメンを食べることになりました。祖父は自分の町工場のお仕事で黒崎まで市電で出ていて夕方まで帰りません。ちなみに祖父は絵描きで、芸術大好き。工場で金属を加工する仕事も大好き。

さて、出前のラーメンが二人前届きました。でも祖母には手順があって、まず切り小細工の食前酒用の小さなグラスにブドウ酒を満たして、ガラスの器にフルーツを盛って、それらを味わってからお食事。祖母は女優さんみたいに美しい人なので、美しい所作が大好き。そしてたぶん祖母はラーメンは美しくないから嫌い。ラーメンの器をテーブルの奥に押しやって、顔をしかめているから。

ぼくの目の前にはラーメンとオレンジジュース。

(ラーメンとオレンジジュースで上手くいくかしら?)

「えーと、ここは、わたしがいまからラーメンとオレンジジュースを食べる大切な場所でーー」

ぼくは口の中で呪文を唱え始めました。そのとたん、ものすごい勢いで階段をかけあがる足音が響きました。あ。あの子、走ったり出来るんだ。

「あ。泥棒猫でも入ったかしら!」

祖母が僕を連れて階段の下まで様子を見に行きます。でも二人とも、とても上まで行けません。なにしろ二階ではドッカンドッカンと恐ろしい物音が響いて、その度に家全体が大きく揺れて、階段脇の飾り柱に掴まっていないと立っていられないほどだったのです。

そのうち、重たい漆塗りの飾り篭が階段を転がり落ちてきて、二人の間を通りすぎ、玄関の磨りガラスの引き戸に激突しました。それで、辺りはやっと静かになりました。

「なんだかすごい地震だったわね」

いつのまにか、足のお化けの反応は消えていました。そして家の中がなんとなく平凡になったというか、華美なキラキラした感じが消えてしまったというか。このお家は、ふつうのお家になりました。

でも、まだ何か感じる。この家の中ではない。どこだろう。どこか遠い場所。場所を特定してみたくなりました。パワーを辿っていきます。すると、ここから500メートルほど先の地点のような気がします。近くには遠賀川という大きな河が流れているのですが、その河に掛かる赤い鉄橋の辺り。そのほとり。たぶん、ここだ。

「わたし、河に行って絵を描く練習をしてきます」

持ち物は、スケッチブックと絵の具のセットと敷物と水を入れた水筒と、甘いお菓子を少し。玄関で靴を履いていると、祖母が声を掛けました。

「リノルナちゃんは絵を描くの好きでしたか? 将来は絵描きになりたいの?」

「いいえ、趣味にしようと思って」

お水とお菓子。お化け退治。

(了)