
リノルナは、近くの診療所の病室のベッドで目を覚ましました。
カーテンに仕切られた保健室のベッドみたいなところで横たわっていて、天井の石膏ボードと、金属のポールに吊り下げられた点滴のビニールバッグが目に留まりました。右腕には点滴の針が刺さっていました。
祖母の部屋で倒れているぼくを伯母が見つけて、伯母と祖母と母と3人で近くの診療所に運び込んだそうです。ひどい栄養失調状態で貧血を起こしていて、首には切り傷があったので、3人はお医者さんからこっぴどく叱られました。当時は、虐待という言葉はなかったけれど、お医者さんは疑っているようでした。
たぶん、まち針の結界を作る作業で霊力を使いすぎたためでしょう。時間の感覚が失われていましたが、3時間ほどぼくはここで眠っていたようです。
祖母たち3人に連れられてぼくは家に帰りましたが、”祖母の部屋で”という言葉が引っ掛かりました。ぼくは人形部屋で、赤い着物のあいつと戦ったのだから、倒れているとすれば”人形部屋で”か”納戸で”じゃないとおかしいです。
祖母にそう言いましたが、祖母はとたんに青ざめて震え声で、ぼくが倒れていたのは祖母の部屋だと言います。
「リノルナちゃん。人形部屋ってなに?」
家族会議になりました。
たしかにリノルナが言うように調べてみると、この家の中心にはちょうど正方形の空間があるようだ。間取り的に納戸があってもおかしくない。でも四方をすべて壁で囲まれていて、出入り口の引き戸が見当たらない。
「どこか壁をハンマーかなんかで壊してみればいいんだ。場所的にもリノルナの言った廊下のところがちょうどいい。それでそこに階段を作ったらいい。俺、前からこの家に2階があったらいいって言ってたろうが。な、リノルナもそう思うだろう?」
と伯父が提案しましたが、祖母は即却下しました。わたしの目の黒いうちは好きにはさせない。じゃあ、ばあさんが死んだら好きにしていいのか。好きにさせてもらう。
そのうち出前のお寿司が届くと、一族だんらんの宴会が始まりました。ぼくもお寿司をすこし食べ、ほんのすこしだけビールを頂きましたが、リノルナは変わり者だ、頭がおかしい、男なのになんで女みたいな格好なのかと酒の肴に男衆から口々に並べ立てられるのが面白くないので、ひとり仏間に引っ込みました。
仏間では、煌々と灯る蛍光灯の白い明かりが気分に合わないので、電灯の紐を引っ張って橙色の常夜灯にして、座布団を引っ張り出して腰を下ろして、薄闇のなかで仏壇を見つめていました。
金ぴかの仏具。ご飯を盛った器と、お水の入ったコップに目を奪われました。一瞬、意識が飛んで、何かがぼくにインストールされた感じがしました。両方の手のひらをチェックしてみましたけれど、でも何も出てきませんでした。
(わたし、お腹空いてるのかしら)
すると、今度は廊下の向こう側に気配を感じました。見ていますと、障子の隙間から、黒い影のようなものが入ってきました。身を屈めて畳の上を這いずるように、両腕で前方を探るように動かすので、ザッ、ザッと畳が擦れる音がします。大きな虫みたいに見えます。頭がもげている人間のようにも見えます。
そいつはぼくの前を通りすぎ、仏間を横断しもうひとつの廊下に出て、祖母の部屋に入って行きました。
翌日、祖母に報告をすると、祖母は自分のベッドに布団をうず高く積みあげ、天井に鼻が付きそうな高さで眠るようになりました。
「おばあちゃん。どうして、そんなふうに眠るの?」
「なんとなく、このほうがいいかなって。安心だから。おばあちゃんの趣味みたいなものだから、気にしないで」
数日後、祖母は外出中、事故に遭いました。道路を自転車を走らせていたら、路上に停まっていた車のドアが突然開き、自転車がドアにあ激突した弾みで、祖母は宙に投げ出されて全身を強打しました。さいわい軽傷で済みましたが、ショックで狭心症の発作が出て、病院に運ばれしばらく入院しました。
退院後、祖母は言いました。
「リノルナちゃん。わたしの母から連絡があって、リノルナちゃんに会ってお話ししてみたいって。リノルナちゃんにとってはひいおばあちゃんね。はじめて会うことになるんだけど。でもその前にね、リノルナちゃんには強くなってもらう必要がある。芯を作る必要がある。リノルナちゃんの中に大きな穴が開き始めていて、周りの人にも影響が出てきているから」
すぐに動かなくてはならないから、いろんなことを端折ることになるのだけど、仕方がない。本当はもっとゆっくり教えてあげたかったのだけど。
「明日から、おばあちゃんとお出かけしましょう。神社を3つ回ります。山の中の神社と、海の近くの神社。それから近所にある神社。そしてリノルナちゃんにしてほしいことがある。それぞれの場所を肌で感じてみて、いちばん気に入った場所をおばあちゃんに教えてほしい」
(能力強化編へ)





