占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂⑩「破壊者」

「ああ、なるほど。あなたが、
 あのご高名なリノルナさんですか。噂とは印象が違うものですな」

店内は、いつもより静かだった。
音がない、というより、音が立ち上がる前で止まっている。

あいつは、鑑定台の向こうには座らなかった。
入口に近い椅子を引き、斜めに腰を下ろしている。

帰るつもりで来た人間の座り方だ。

ぼくは、いつも通り椅子に腰かけたまま、
でも、カードにも、星にも、手を伸ばさなかった。

「今日は、占いに来たわけじゃない」

あいつはそう言って、周囲を一度見回した。

「君の店はさ。
 安全だよな。きれいで、線が引いてあって。
 きれいな結界が出来ているじゃないか。なんとも壊しがいのある」

ぼくは椅子に腰かけたまま、返事をしなかった。

あいつは続けた。

「リノルナさん、線の向こう側が見えてるなら、
 行けばいい。

 見えているのに、止まる理由はない。
 必要なところには、必要なことをすればいいんだ」

「ああ、あなたはそう思うんだ」

「思うもなにも、現実だろう。
 境界なんて、ただの線だ」

「線にはね、意味があるよ」

あいつは、ようやくこちらを見た。

「意味?」

「位置を、決めるためのものだと思うけどね」

鼻で笑う。

「位置?
 そんなもの、越えてしまえば関係ない」

「越えた先で、戻れなくなる人もいる」

「戻る必要があるのか?」

「ある人も、いる」

一瞬、沈黙が落ちる。

「君は、優しすぎる」

「そうかな」

「助けられるのに、助けない。出来るのに、やらない」

「やらないんじゃない。選ばないだけ」

あいつは、少しだけ首を傾げた。

「選ばない、か。
 それで救われる人間がいると思うか?」

「救われない人間もいるだろうね」

「だったら、同じだ」

「同じじゃないと思うよ」

ぼくは、はっきり言った。

「ぼくは選ばなかった、という事実は残るもの」

あいつは黙った。

それから、低い声で言う。

「君はさ。壊すのが、怖いんだろう」

「壊せるのは、知ってる」

「だったら――」

「壊さない」

空気が、きしんだ。

「境界はな、守るためにあるんじゃない」

あいつは一歩、前に出た。

「壊されるためにある」

「違う」

「現実は、もう破れてる」

「だからこそ、だよ」

ぼくは、視線を逸らさずに言う。

「だからこそ、侵さない」

あいつは、何か言いかけて、やめた。

そして、小さく息を吐く。

「……君は、つまらないな」

「よく言われるよ」

「だが」

あいつは、扉の方へ向かいながら言った。

「君みたいなのが、一番、厄介だ」

ドアが閉まる。

あいつが帰った後、店内に、ラップ音がバチン、と短く鳴った。
続けて、プチン、と何かが切れかける音。

――その先は、なかった。

ぼくは、大きなため息をつく。

「今度は、おまえの相手か。なにかぼくに言いたいことがあるわけ?」

店内にラップ音がパキン、と響いた。
続いて、竹が軋むような音が、短く鳴る。

「ぼくはおまえみたいに、
 あちこち考えもなく境界を破壊しまくることはしない。

 かと言って、

 おまえを感知できないくせに、
 好き勝手やるあいつみたいにもなりたくない。

 少なくとも、ぼくはね。境界を侵さない。」

店内は、静かになった。

<カチン>と、どこか遠くで音がした。

ぼくは椅子に座り直してから、大きく息を吐く。

まだなにも終わってはいない。