
占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂④「夜の店内で」
閉店後のほしよみ堂は、音が少ないです。
天井のスポットライトの灯りを落とし、
店内の照明を緑色のバンカーランプだけにします。
BGMのヒーリングミュージックを止め、
空気清浄機のスイッチを切ります。
いつも通りの手順。
椅子を整え、テーブルを拭き、カードを元の位置に戻します。
今日は、依頼はありませんでした。
悪い日でもなかったし、良い日でもなかった。
ただ、何も起きなかった、そういう一日。
ぼくは、店の中央で一度立ち止まり、周囲を見渡しました。
静かです。
気配がない、というより、
「気配が成立していない」という感じに近い。
いつもなら、こういうとき、
頭の奥で小さな音が鳴ります。
〈カチン〉
選択が必要なとき。
境界が立ち上がるとき。
踏み込むか、止まるかが、はっきりするとき。
窓のガラスがパチンと音をたてたり、
ふいに、空のペットボトルがパンッと破裂音をたてることもあります。
でも。
今日は、鳴りませんでした。
ぼくは、少しだけ意識を研ぎ澄まします。
床。
壁。
天井。
空気の流れ。
何もありません。
違和感も、引っかかりも、兆しもありません。
(……そうか)
自然に、そう思いました。
今日は、選択をする日ではありません。
境界が、まだ現れていないのです。
〈カチン〉という音は、
「選択が成立した」という、お知らせみたいなもの。
鳴らないなら、
選ぶ必要がない。
それだけのことです。
ぼくは、最後の照明を落としました。
ドアの鍵をかけます。
防火扉の施錠をします。
夜の空気が、建物の外に満ちています。
帰り際、ふと、
赤い着物の子のことが頭をよぎりました。
声も、姿も、ありません。
思い出す必要すらありません。
ただ、
「今日は踏み込まない」
それだけが、静かに確定していました。
歩き出してから、ぼくは思います。
境界に踏み込むときは、
音が鳴らなくても、踏み込む日が来る。
たぶん、次にぼくが境界に踏み込むことになるとしたら、
それはーー





