占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂②「閉店間際の客」

閉店間際、
ぼくはエントランスの防火扉を閉めようとして、
いったん店の外に出ました。

そのとき、
エレベーターホールに年配の夫婦が立っているのに気づきました。

二人とも落ち着かない様子で、
どこに立てばいいのか分からない、
そんな顔をしています。

「……あの、まだ大丈夫でしょうか」

声をかけられて、
ぼくは一度、うなずきました。

「今日はもう閉店なんですが。
どうされましたか?」

夫婦は顔を見合わせてから、
ゆっくりと言いました。

「娘のことで、
相談したいことがありまして」

店内に戻り、
簡単に椅子を用意しました。

照明はすでに落とし始めていて、
昼間とは少し違う空気が流れています。

娘さんは、
ここ最近、行動がおかしいのだそうです。

急に泣き出す。
怒鳴る。
暴力を振るう。

両親を思い通りに動かそうとする。
リストカットをする。
夜中に冷蔵庫を荒らし、
食べ続ける。

付き合う人間関係も変わりました。

精神科にも連れて行きましたが、
改善はしませんでした。

医師からは、
「愛情不足」と言われたそうです。

「でも、
そんなはずはないんです」

母親はそう言って、
何度も首を振りました。

「何かに取り憑かれているんじゃないかと……
先生、助けてください」

ぼくは答えずに、
占星術のホロスコープを出しました。

娘さんの生年月日、
出生時間、
出生地をもとに、
静かに読み取ります。

――違う。

出てくる性質と、
今聞いている行動が、
どうしても噛み合いません。

「……娘さんは、
もともと、こんなタイプですか?」

そう尋ねると、
二人は即座に首を横に振りました。

「いいえ。
まったく違います」

その瞬間、
占いが【エラー】を起こしている感触がありました。

占いが嘘をつくことはありません。

ただ、
人が“別のルート”を歩いているとき、
占いは、こういう反応をすることがあります。

「ご自宅に、
仏壇はありますか?」

「あります。
きれいなものを買いました」

「大切に、
手を合わせていますか?」

「……いえ。
置いてあるだけです」

少し間があって、
父親が続けました。

「じつは少し前、
お寺のお坊さんに娘の就職について相談したら、
先祖を供養したほうがいいと言われまして。
お墓で法要もしました。
それで、仏壇も……」

ぼくは、
小さく息を吐きました。

「いままで、
先祖供養は?」

「していませんでした」

母親の声が、
かすれます。

「……私たちが供養しなかった罰が、
娘に来たんでしょうか」

ぼくは首を横に振りました。

「逆です。
供養をしたから、
反応が返ってきたのです」

先祖の霊は、
いつまでも人格を保ったまま、
存在し続けるとは限りません。

長い時間のなかで、
集合体になり、
欲求だけが残ることもあります。

「悪意ではありません。
ただ、空腹に近い状態なのです」

二人は黙って、
話を聞いていました。

「ですが」

ぼくは、
はっきりと言いました。

「今回は、
ぼくはサポートできません」

夫婦の表情が、
固まります。

「娘さん本人の意思が、
確認できないからです」

「この状態で何かをすると、
娘さんの人生を、
ぼくが選ぶことになります」

沈黙が落ちました。

「娘さんのことを気にせず生活なさるか、
娘さんと、
あなたがたの生活の拠点を分けてください。

それが、
現実的で【安全】な選択です。

可能であれば、
100キロ以上は離れて生活してください」

二人は、
何も言いませんでした。

やがて、
深く頭を下げて、
帰っていきました。

扉が閉まり、
店内には、
誰もいなくなります。

静かでした。

〈カチン〉という音は、
鳴りません。

それでいいと、
ぼくは思いました。

境界は、
越えるためではなく、
越えないためにあるのですから。