占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂⑫「呼び鈴」

店内は、静かだった。

いつも通り、
照明は落ち着いた明るさで、
鑑定台の上には、何も出していない。

今日は、予約も入っていない。

ぼくは隅のキッチンスペースで、湯のみを片づけていた。
そろそろ店を閉めようか。

――チリン。

一瞬、手が止まった。

呼び鈴の音。
高くも低くもない、
ごく普通の、どこにでもある店の音。

反射的に、入口の方を見る。

……誰もいない。

ドアを開けてみる。エントランスには誰もいない。
その先のエレベーターホールにも、
人の気配はなかった。

気のせいか、と思いかけて、
そこで、違和感が来た。

あれ?

うちの店、 呼び鈴なんて――
つけてない。

ドアノブ。ドアの上。足元。
どこにも、呼び鈴はない。

「……だよね」

思わず、独り言が漏れた。
そのときだった。

「リノルナさん」

 声がした。

【筋】の道具屋だった。
いつの間に来たのか、
エレベーターホールに立って、軽く手を挙げている。

「ちょっと顔を出しただけですよ」 

一瞬、間があった。
道具屋は、何気ない調子で言った。

「今日は売り込みじゃないんです。ただの挨拶」

「そういう日もありますよね」

「いや、正確には違いますね。
 探してこいと、さる筋からご下命を頂戴しておりまして。
 あんたが適任というわけで。【筋】ですから、報酬はありません」

道具屋は、少しだけ笑った。
それから、ふっと真顔に戻る。

「リノルナさん、山に来てください」

理由は言わない。
ぼくも、聞かなかった。

「分かりました」

それだけで、話は終わった。
道具屋は、軽く会釈をして、
廊下の向こうへ消えた。

ドアを閉める。

店内に、また静けさが戻る。
お化けの気配は、ない。
霊的な反応も、結界の揺れも、何も起きていない。

――チリン。

まただ。音だけが、あった。

ぼくは、 深く息を吸って、
吐いた。

鳴ったからといって、
応じなければならないわけじゃない。

見えているからといって、
行かなければならないわけじゃない。

鑑定台に戻り、椅子に腰を下ろす。
しばらく、何も起きなかった。

音も、気配も、続きはない。

ぼくは、ゆっくりと立ち上がり、
照明を一つ落とした。

「今日は、終わりだな」

そう呟いて、店の鍵を閉める。
廊下に出ると、さっきまでの静けさが、
嘘みたいに、普通だった。

エレベーターの到着音。誰かの足音。遠くの話し声。

世界は、何事もなかったように続いている。
ぼくは一度だけ、振り返った。

呼び鈴なんて、
やっぱり、ない。

呼ばれたことだけを、胸の奥に残したまま、
ぼくはビルの外に出た。