占い師リノルナの事件簿@京都ほしよみ堂⑥「刺さない針」

若い女性客が鑑定を終え、コートを羽織りながら、ふと思い出したように笑いました。

「今日は、たくさん良い話が聞けてよかったです。でも……私、先生みたいに人生を軽く飛び越えていく自信なんてないんです。まだ、いろんなことが未経験で」

「軽く、ね。まあ、たしかにぼくは軽いかもしれないね」

そう返すと、彼女は慌てて首を振りました。

「あ、違います。軽いって、悪い意味じゃなくて……
かろやかで、しなやかで、というか。
先生みたいな勇気があったらなって。
私、リノルナ先生みたいになりたいんです」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、かすかな引っかかりを覚えました。

「ぼく、そんなに勇気があるかな。ないかもしれないけど」

曖昧に笑って受け流すと、彼女は一歩踏み出して、身を乗り出しました。

「先生、なにかお守りになるもの、ください!
なんでもいいです。先生の勇気にあやかりたいんです」

「勇気は、分けてあげられない。
でも……期限付きでなら、貸せるかもしれない」

「本当ですか!」

彼女の声が、少し弾みました。

ぼくは、自分がなにを口走っているのか分からないまま、立ち上がりました。
無意識のうちに店の隅へ歩き、冷蔵庫の扉を開けます。

中から「フルタの生クリームチョコ」を一つ取り出し、手のひらに載せて戻りました。
鑑定台の中央に、チョコを置きます。

ぼくは、右手の感覚を確かめました。待ち針のおまじない。

待ち針の山。
その中から一本を選び、左手でつまみます。

いつも通りの手順。
正しい手順。
――そのはずでした。

針の先端がチョコに触れる直前、
左手が、ビクンと小さく痙攣しました。

違和感があった。
言葉には出来ないけど。
でも、無視してはいけない感覚。

ぼくは動きを止め、ほんの一瞬、考え直しました。

そして、針を突き刺すのをやめ、
先端でチョンと、チョコに触れるだけにしました。

「そのチョコが、お守りですか?」

「たぶん。
一歩踏み出すときに食べてください。
ただし、期限がある。
チョコが溶けて、形を失ったら、効力は失われる」

「じゃあ、私、いまここで食べます!
それで先生、包み紙を大切にして、お守りにします」

「まあ、たしかに……包み紙は溶けたりしないけどね」

彼女は笑いながら、店を出ていきました。

扉が閉まり、店内は静かになります。

ぼくは鑑定台を見つめたまま、
さきほどの違和感について考えていました。

分からない。
手順は、正しいものだった。

ぼくは、境界まで行って――

そして、〈途中〉で引き返した。
それだけは、はっきりしている。