定年という言葉にはどこか終わった人の響が感じられ何かくらい気持ちにさせられる。

作家の楠木しんさんは私自身70才になって隠居こそ目指すべき1つのゴールだと思えるようになった。

仕事を退いてのんびり暮らすだけでなく好きな事をして暮らすという意味合いが含まれているからだ

①隠居のススメ

日本には定年に近い概念として隠居がある

隠居は辞書を見ると仕事や生計の責任者であることをやめ、好きなことをして暮らす人とされている

この方も8年前に定年後を執筆した時に隠居について色々と調べたことがあります。その時は定年をいくつかの角度から検討するために参考として取り上げた。

しかしながら今回、定年後その後を吟味していく中でまさにこの隠居こそが目指すべきゴールのように思えてきた。

隠居には単に仕事を退いてのんびり暮らすというだけでなく好きな事をして好きな事をして過ごすという意味が含まれているからだ。

②老いても自分で考える

京都錦小路にあった青物問屋の主人が40才で家督を弟に譲って動植綵絵を描き始めたことや49歳で全てを長男に譲って全日本地図の作成に携わった伊能忠敬などが隠居の列として挙げられている。

好きな事をして暮らす点がポイントなのだ。

定年は退職引っ越しという点が中心でその後のことにはイメージが及んでいない。定年後その後を隠居の位置付けにするためには主体的には意思や姿勢が不可欠だといえる。

老いても自分で考えることが重要だ。

定年後その後になったら

多額のお金を稼いだり地位な役職に執着するのは、みっともない

趣味をこうじて草花を愛してゆったりした時間を過ごす。

働くにしても道楽として取り組み若い時代を盛り立てて応援するなど社会との新しい関わり方を個人個人が見出すことが大切だろう。

人生後半戦の3段を経て隠居に至る!

隠居について人生後半戦の視点からから整理してみたい

人生後半戦は60才から70才が黄金期と言えるだけの理由は人生後半戦45才以降は3つの段階に分かれる。

①45才から59才

②60才から74才

③75才以降である。

49歳から59歳はまだまだ現役で仕事中心に働く人が大半であろう。

若い時に比べれば体力的な衰えがあってもまだ老いを強く意識する年代ではない。

老いを感じ始めるのは

60才から74才の期間だろう。65才までは雇用確保措置があって現役の人がほとんどだ。

65才以降からは週5日の全日勤勤務から離れる人が増えてくる自由時間は増えるが心身面での衰えも顕著になり始める

大病が判明したり視力や筋肉の低下、ひざや腰の痛みがで始める

WHO世界保健機関では65才以上を高齢者と定義している

70才にもなれば老いは確実に忍び寄り健康の話題が中心になってきて日常の活動範囲も徐々に限られてくる。ここが定年後その後として述べてきた諸状況だ。

隠居は還暦の後に楽しみ尽くす極楽生活

一方で人の一生は誕生、命名、入学、成人、就職、結婚、出産、育児、還暦定年、死。などの項目がある。これらは個人が属する集団内で身分の変化と新しい役割の獲得を伴っている。これだけ寿命が長くなった時代には還暦の後に隠居を入れればおさまりもよいのではないか?

日本においては還暦の後には古希70才、

喜寿77才

傘寿80才

米寿88才などが続く。

しかしこれからは長寿を祝う行事であるもののどのようにして生きるか?の議論は含まれてない

やはり定年後その後の生き方の指標として隠居として規定する意味合いは小さくないそこではとにかく生活を楽しみ尽くす極楽生活を目指すべきだろう。

定年後その後と書いたように時間連続性を意識すれば人生後半戦後に入った頃からは徐々に主体性のある行動が求められるだろう。

以上

ガラシャ鶴城