さて、病院変わるはいいけど、すでにそこまでの通院が数か月経過していたし、心理系の病院を自分の意思で変えるとなると、一からやり直し。少しは迷いもあったのですが、合わない人とは時間の無駄なので病院探そうと思い立ちました。

そこでふと浮かんだのが、当時60代の女医、M先生でした。
彼女は私が20代の頃に肺を患った時の主治医でしたが、その後心療内科に転科されていたのです。
先生とはなんとなく気が合って、時々個人的な話もしていかたでした。

そしてこの選択が本当に大正解でした!
先生も娘のことを可愛がってくださり、月に一度の診察を娘も楽しみにしていて
診察も一人で行くようになりました。
が、ある時私も珍しく診察室に入った時、なぜか流れで、大学教授を退官されたばかりの先生のご主人様が、近くの子に勉強を教えている話になったのです。つい「うちの子にも教えてほしいです」と言ったのですが、先生は、本当に繋いでくださったんです(驚きと感謝でいっぱいになりました)。
娘は、ご飯を食べて命を存続することにすべてを向けていたので、塾どころか一切勉強のことは口にせず、好きに過ごしていたので、英語は中1の5月のほぼアルファベットだけでストップしてた状態です。

そこから週に一度、ご主人様から英語を習ってたった数か月で、娘は自らスピーチコンテストに出場し、賞をいただくことができたんです。
最初の病院で、3年はかかると言われた拒食症。拒食のため登校もできず、ただ毎日ごく少量のお弁当を作って、それを食べきることを目標に支えた日々でしたが、コンテスト会場で堂々とスピーチする娘からは、弱々しく倒れていた頃の面影は消えていました。

二年間、ほぼ授業に出ることもなかった割に、ひとつ自信をつけたことでそこから挽回し、順調に資格も取得。さらには自力で進学校の特待生合格を果たしました。
ただ、その一般で、このご縁を繋いでくださったM先生は病に倒れられ、ご主人の英語も打ち切り、そしてM先生は娘が高校に合格したことさえご存じないまま、亡くなっておられます。
あの時、拒食症になり、高校は行けないと言われて絶望したものの、あれがなかったら、娘の今の英語力はなかったと思います。
余談ですが、M先生がご逝去されたあとも、何度かご自宅にお邪魔して、素敵なご夫婦像に触れさせていただいていています。本当にありがたいご縁だったと思っています。

人生、何が幸いで何が不幸なのか分からないものだな、とよく感じます。また、どんなことでも『運と縁』だな、とも。

今、辛い状況にあっても、それが永遠に続くことはなく、逆もまたしかりです。
鑑定でも、「今後どうなりますか?」という質問はよく受けますが、未来はいきなり数か月後にワープするものではなく、今日という日々の積み重ねの先に訪れるものです。
今日一日を大切に。何を思い、何をしたかによって、未来は創られていくものです。そのためにまず目標を設定することから始めてみませんか?

あなたが望む未来を創るのは、自分自身であることを忘れないでいきたいものですね!