(前回▶「SONA」ができるまで①)
こんにちはSONAです。
今日は、SONAの2話目の物語です。
今このブログを読んでくださっている貴方は、「感謝しなさい」と言われたことはありますか?
SONAはついこの間までこの「感謝」という言葉が刺さりませんでした。
ずっとヌカに釘。
努力してみたけど、ムリ。感謝なんてできるか!
これは、昔のSONAの叫びです。
努力したらそれが本物の感謝になるのではないかと錯覚していましたが、
しょせん他人に促されてできる感謝なんてハリボテの偽物。
今だから理解できるけれど、
感謝ってしようと思わなくても勝手に湧き上がってくるもの。
良くも悪くもストレートな性格なので「フリ」をすることにとても抵抗があったし、できなかった。「ありがとう」を言ったとしても笑えるくらい棒読み。大根役者もいいとこです。
親に何度「お前は感謝がない」と言わせたか分かりません。
10年前に実家を追い出されなければ、改善の余地なしでした。
実家を追い出された原因は、
いったんブチギレたら誰も手を付けられなくなる激高型の母との衝突でした。
情の厚い人ではあるのですが怒らせたら大変。
幼少の頃から言うことを聞かないと、
引きずりまわされたり、モノを投げられたり、家の外に放り出されたりしたものです。
大人になっても懲りない私は、よく母の逆鱗に触れてしまい、
止めに入る家族はすっかり疲れ果てていました。
家を追い出された今は色んな事が落ち着き、
理解できる事も増えたお陰で、だいぶとマシにはなりましたが、まだまだ感謝不足です。
それでも「マシ」になったと言えるようになったのは、
「感謝できていない自分」を少し理解できたからです。
私は何事も体験しないと身に付かないタイプだったので、
たくさん頭を打って何度も痛い思いをしました。
そこでもうひとつ気付いたことがあります。
感謝できなかった時は、あんまり幸せだと感じなかったのです。
だから何か思うようにならないと不満だったし、あらゆることにケチをつけたがった。
正確に言うと、幸せのセンサーが機能していなかった。
つまり鈍かったんです。
幸せに鈍感だと、見逃す事がたくさんあります。
そこに気付いてからすごく勿体ないなと思った。早く知ってたらよかったなって。
また、たまにそんな人を見かけると…あれ、まだ知らんのかな?
って放っておけない気持ちになる時があります。
頭をぶちすぎてネジが何本か飛んだSONAですが、
幸せセンサーすら知らない人にその存在をお知らせすることくらいはできるんじゃないか。
いつしか、そんな風に考えるようになりました。
(次回▶「SONA」ができるまで③)