(前回▶「SONA」ができるまで⑤)
こんにちは、今日これからお話する6話目のSONAは、ちょっと真面目な生き方についてのお話です。
人生の身近な大先輩である私の祖母は父方と母方ともに他界しており、
この2人は対照的なキャラでした。
例えるなら、
父方は大正生まれの大和撫子、
母方は昭和初期生まれのジャイアン。
性格も違えば、環境も生き方も違って、自由度の少ない方が不幸かといえばそうでもなく、
2人を見ていて人生はわからないなと思いました。
祖母たちが生きた時代は特に、
女性は我慢することが多かったので、今を生きている私たちは祖母たちと比べたら、
なりたいものにもなれて、やりたいこともできるたくさんの選択肢があります。
ある時、ある徘徊グセのある痴呆症のおじいちゃんの話を聞いて、
私はとても悲しくなりました。
このおじいちゃんは、
本当は若い頃にもっとたくさん旅をしたり、挑戦したい仕事をするために
家を出たかったそうなのですが、家を継がなければならない等の理由からできなかったそうなのです。
諸説ありますが、痴呆症をきっかけに正常だった時に
我慢してできなかったことを叶えようとする行為が痴呆の症状として現れる方が多いようです。
この人は徘徊というカタチで現れ、
本来自分が行きたかった場所を探し続けるような行動をしていましたが、
怒りを抑えていた人は癇癪を起したり、
飢えて食べられなかった記憶が鮮明だった人は食に対してより強欲になる。
痴呆症になってから、
やっと素直に自分の自由を求める事ができるようになっても、
本人がそれを覚えていて喜べているかわからないし、
支えてくれる家族もそれに振り回されて、誰も幸せじゃないなと感じました。
環境の影響が大きくても、
その中でどのような選択をするかで自分の生き方が決まります。
貴方がしたその選択を、
どんなに批判する人がいたとしても、
その人は貴方の人生を代わりに生きてくれる訳ではない。
ならば貴方は、自分に与えられた今日この1日をどのように生きたいですか?
SONAは、ある大切な人がとても体調が悪くて、
本当に近々死ぬんじゃないかと感じた時期がありました。
その時、「彼女に明日が来なかったらどうしよう…」
私が今日叶えることができる「彼女からのちょっとしたお願い」を先延ばしにしたら、
私は一生後悔するだろうなと思いました。
私はプロフィールにも書いた通り、
学生生活を終えてしばらくずっーと目的もなくダラダラと過ごしていたのに、
ここで何だか目が覚めてエンジン全開に切り替わりました。
SONAの場合は、健康ゆえにそんな発想すらなかったので
余計と他人の明日がないかもしれないことに怯えた訳ですが、
このブログを読んでくださっている方の中には、
我が身を案じている方もいらっしゃると思います。
その方々に向けてSONAからアドバイスするとしたら、
昨日までは知らなかった事は仕方がない。
今から変えたい人は、少しずつ切り替えていけばよい、ということくらいです。
ひとつひとつのモノゴトを、
自分の人生を思うように生きるために選択していくことが秘訣です。
(次回▶「SONA」ができるまで⑦)